今回で、いよいよ京都駅までたどり着く。東海道歩きはこれでおわる。だが、これで最後だな、としみじみ思ったのは、むしろ前回のほうだ。母と二人で完歩するのが、最後だったからだと思う。道中、歩きながら(帰りながら)今までの思い出を少しだけしんみりしながら話したものだった。

祖父母と父、妹までもが京都でむかえに来てくれているのだった。距離も短いし、お祭りのようなものだ。一日しかなく、しかも瀬田駅から京都の三条大橋まで20.3キロなど、容易いことに感じられた。

しかし、予期せぬことに、なんとこの日は雪だった。京都駅につくまでの新幹線の窓から、真っ白な景色がみえていた。東海道線エリアで、雪が降るときまって電車の遅延の原因となるエリアがある。この日も、このエリアを通過した時だけ、窓の外は真っ白だった。

京都駅に着くと、そこからローカル線に乗って瀬田駅にもどった。ロータリーのある駅だ。そこから私たちは最後の東海道を歩きはじめた。

歩き始めてすぐに見つけたパン屋さん。とくに珈琲パンがとても美味しい!歩きながらいくつも食べてしまった。
(本当は歩き食べなどはしない部類の人間だが、東海道中では別である。という言い訳は東海道の最後まで続いた)

滋賀の琵琶湖の近辺で、道に迷ったおばあちゃんに会った。滋賀県のコラボ滋賀へ行きたいのだという。しょっちゅう行っているのに電車で降りるところを間違えたのかしら、道がわからなくなってしまったといった。スマホで調べてみるとそこからしばらく歩く距離で、京都も同じ方面だったから、一緒にホールの近くまで行くことにした。おばあちゃんは毛糸のお花のモチーフがついている帽子と、マフラーをしていた。お世辞でなく、それが素敵だと思ったから、これ、可愛いですね、といった。自分で作ったのだという。これでもおしゃれしているつもりなんや、と言っていた。

石場駅に着くと、すぐそこにびわ湖ホール(これがコラボしが という建物の中に入っているホールのことらしかった)があるらしかった。ありがとう、それ、スマホって言うんやろ?と、私たちが地図を調べた、手のひらサイズの機械を指さして言った。

おばあちゃんと別れて、お昼ご飯を食べてから、逢坂の関あたりで、急に真っ白な粉が頭上を舞い始めた。

これやこの ゆくもかえるも別れては、知るも知らぬも大阪の関 蝉丸

と書かれているところ当たりからだった。

前方も地面も真っ白。きっと車を運転している人は、どうしてあの人たちは、こんな雪の中、わざわざ歩いているんだろう?と疑問に思ったに違いなかった。それくらい、軽いしかし、たくさんの雪の粉が降っていたのだった。

京都の三条大橋の1キロ手前でおじいちゃんとおばあちゃん、妹が待っていた。最後を一緒に歩くのだたという。それも面白い経験、だが、私はなんとなくだが、最後は母と並んで、一緒に歩いてゴールしたい気分だった。三条大橋の上は人が多かった。皆観光客だろう。雪がふってしまってラッキーなのか、アンラッキーなのか。そんな人たちのなかで、河童をきてリュックをしょった私たちは静かにゴールした。

あっさりとしたゴールではあった。長期間だったからかもしれない。雪のせいであまり景色を楽しめなかったからかもしれない。とにかく東京から京都まで、一気にではないにしろ、歩いて東海道を完走したことは確かだった。確かなのに、それがもはや本当なのか、と疑ってしまうような感覚。それが本当だったとしても、本当に歩いたかどうか証明できるものは何も残ってないような、そんな感じだった。

私たちはなぜ歩いているのか、何のために歩いたのか。その理由は、歩き終わったあとでもやはりわからなかった。

雪は降り続けていた。次の日も真っ白に降り続けていた。

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趣味は映画観賞・読書・ヨガ・ランニング・ウォーキング・写真・旅行です。これまでに訪れた場所や文化について、私が体験したこと、考えたことを綴ります。

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